ルールに厳しいアメリカ人

安全を重視するアメリカではschool busの中では走行中絶対に立ってはいけない。また、全員が座らないと出発すらできないのである。

そんな時、人数が多すぎて席に座れないと2人席に詰めて3人で座るか、それより多い場合は、通路にしゃがむのだ。

 

ある日、学校の帰り道、いつものようにバスに揺られていい気分だったが、住宅街に入るまでに「Sit down!」の声が数回車内に響き渡った。

注意されたら座るが、それでも立ち上がった人がいるらしかった。住宅地で突然運転手さんがバスを止めシートベルトを外し、すごい剣幕でバスの後ろのほうに行く。(でも太ってたから通りにくそうだったな。)そして、ふざけていた生徒に、なんて言ったのかは聞こえなかったが、注意をしていた。

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それからバスは再び出発したが、いつもガヤガヤとみんなしゃべっている車内がしばらくシーンとなっていたのを覚えている。が、しばらくするといつものにぎやかな車内に戻ったのでした。

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それって、意味ありますか?

前置き―

アメリカでは厳重に鍵をするのが当たり前の生活をしていた。

なので、日本でも同じ感覚で生活をしていた。

 

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職場でも、しばらく席を離れるときは必ず引き出しにカギをかけていくようにしていた。しかし、周りを見ても誰も鍵をかけている人はいない。

そんなある日、職場で、9:30からほかの部屋で用事のある隣の席の人が、大切なものが入っているのだろう引き出しにしっかりと鍵をかけていった。

お!鍵をする人がほかにいたぞ。と、心の中で喜んでいると、彼はそのまま席を離れていった。そう、そのままである。

あれ?と思い、ふと隣の引き出しを見てみると、なななんと鍵が鍵穴に刺さったままの状態だったのである!何ということだ、文字道理、鍵をかけていったのだ!アメリカでは信じられないし、鍵の意味がなっていない。。。これでは「どうぞ中のものをご自由にお取りください」ではないか⁉!と思ったが、特に何もせず、そのままそっとしておいた私なのでした。

目測の甘いアメリカ人 Part 2

突然で申し訳ないが、今回はトイレの話をさせてもらう。

 

これは外食に行った時、トイレで起こったある一種の事件である。

この店のトイレはすごく小さく、手洗い場1つに小部屋は2つしかない。廊下 (?)は大人2人がすれ違う事の出来ないほどの狭さだ。そして極めつけはトイレの扉の幅の狭さだ。

アメリカ人より小さく細い日本人の私でもやっと通るぐらいの幅なのに、大柄なアメリカ人はどうするのだろうと思わず思ってしまうほどの幅

なのである。

数分後、トイレから出ようとした私は、そこで見た光景に驚愕した。

はじめはそんなことになっているとは思いもしなかったのだが、なんとそこにはトイレから出てこれなくなったおばさんの姿があったのだ!

隣のトイレから出ようとした彼女は、自分の横幅より扉の幅が狭いことに気づかなかったのか、大きな体が文字通り詰まってしまい、一生懸命出ようと踏ん張っていたのだ!

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なかなか出てこれず、頑張って出ようと力を入れるが一向に前に進まず、みるみる顔が赤くなり、プルプル震えている。

手を貸したほうがいいのか悪いのか戸惑っていると、おばさん、渾身の力を込めて自力で小部屋から出てきた。

私は心底ホッとした。見ている私もほっとしたのだから、本人もさぞ安心したことだろう。

そのあとおばさんは普通の顔をして出て行ったのでした。まるで何事もなかったかのように…

 

しかし、入るときはどうやって入ったのだろう?

しかも、横向きになればもう少し出やすかったのではなかろうか?

もしかして、前にも後ろにも行けない状態だったのかしら?

それにしても、あそこのトイレは本当に狭かった。なぜあそこまで狭くしたのだろう?

後にも先にもあそこより狭いところにお目にかかったことがない。

目測の甘いアメリカ人

アメリカ人は結構目測を誤ることが多いように思える。

彼らは自信に満ち溢れているので、自分ができると思ったことは是が非でも実行に移る!と思わせることがある。それが必ずしも良い結果つながるとは限らずともだ。

 

いろいろな例があるが、ここではその中の一つを取り上げてみよう。

ほかの例はまた後日お伝えすることにする。

 

これはある時、父が飛行機内で目撃した現場である。

 

旅行、仕事、様々な理由で飛行機に乗る人がいる。そんな客たちは搭乗後次々と自分の荷物を上、または座席の下へ入れ、席に落ち着く。

そんな中、一人の人が鼻息荒くどう見ても絶対に入らない大きさの荷物を力任せに押し込もうと頑張っている。

オーバーヘッドストレージの形が大きなスーツケースの形に合わせるように大きく湾曲しているのにも関わらず、無理やり押し込む。

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数分後、ようやく入らないと気づいたのか、もしくはあきらめたのかは分からないが、(おそらく後方だろう。)

キャビンアテンダンスに荷物を渡し、西洋人ならではのあの肩をすくめる仕草さをして、彼は何事もなかったかのように自分の席に腰かけた。

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そしてきっと、彼の荷物は外に持ち出されたことだろう。

 

まったく、そんなことをして、みんなに見られて彼らは恥ずかしくないのだろうか?と思ってしまう現場でした。

豚インフルエンザになった日

去年の暮、弟がインフルエンザA型になった。そして彼は1週間一人、部屋に隔離された。この出来事は、私のある記憶をよみがえらせた。

 

あれは忘れもしない高校2年生の学期末。。。

 

ある日、ちょっと風邪っぽかったので、母に連れられいつも診てもらっていた日本人病院へやってきた。相変わらず人は少なく、診察をしている人を除いて待合室には私たちだけだった。順番を待っていると、診察を終えた人が出てきた。それはなんと、両親とともに出てきた日本人学校で同じクラスの男の子だった。

見るからに重症そうだ。母同士があいさつを交わし、何の病気だったのか話をしている。

それを聞いているとあんなにしんどそうなのに、どうやら今はやりのswine fluではなかったようだ。(swine flu=豚インフルエンザ)

彼らが帰った後、母と私は「彼よりは私のほうが症状が軽いからきっとインフルエンザではないね」と話していた。が…

私の順番が来て診察室へ行く。診察を受け、今豚インフルが流行っているが、そうではないかということを聞き、

「んじゃま~、一応検査しますか?多分出ないと思うけど。」

そう言い残して先生は診察室から一度姿を消した。

帰ってきたときには、意外な結果をお供に連れていた。それは、

「出ましたよ、swine flu」だった。

 

え!?なんて???

母と私はきっと目が点だったに違いない。

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インフルエンザってことは学校に行けない!?

今はちょうど学期末テスト Final Exam の真っ最中だった。せっかく準備したので何としても行きたかった私はその旨を先生に聞いてみたら、

「ん~ま、行けそうだったら行ってもいいですよ。」という答えだった。

その時はよかったと思ったが、今思い返せば何と無責任な回答だっただろう。

インフルエンザなのに学校に行ってもいいだなんて!

 

その衝撃の結果と共に私たちは病院を後にした。

 

次の日、先生から許可ももらったし、症状も何ともなかったので学校へ行くことにした。

(このことで学校という組織をなめてはいけないということを見せつけられることになろうとは夢にも思わなかったのだ。)

 

学校で1時間目、自習時間にテストを受けていると、ドアをノックする音ともに見知らぬ先生が入ってきた。先生は私を見るなり荷物を持ってついてくるようにと言い渡した。

私は何が何だか、しかもこの先生は誰なのかもわからず外に出るとその先生は

「私はナースだ」(ナースだけど、アジア系の男の先生だった。)

と言い、またついてくるように付け加え、先を歩いていく。なんだかわからないが、まずい状況なのだけはわかった。連行される人はこういう気分なのかとふつふつと思った。

 

階段を降り、1階。受付や、カウンセラーのofficeのある所を通り過ぎ、先生は一つの扉の前で止まり、扉を開けた。そこで先生のoffice、「保健室」に通された。

 

日本の保健室とは随分違い、先生の部屋には机、パソコン、そしてソファが置いてあった。

私はそこに座るように言い渡され、その通りに座った。すると先生が突然

「Are you okay?(何ともないのか?)」と聞き、

「You are swine flu right? (豚インフルなんだよね?)」

と思ってもいなかった質問を投げかけてきた!!!

 

私の親も誰も学校に連絡を入れてないはずなのに、なぜこの人は知っているんだ!?!

しかしこの状況で “Yes”と答えたらなんかトラブルになるのでは?という心配が頭をよぎり、とっさに “N-No” と答えた(と思う)。

まるで尋問を受けているかのような心境。手に汗握り、冷や汗まででそうだった。

確か焦りのあまり目の焦点が合っていない感覚があった。いわゆる挙動不審。

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しかし先生は私の心を察したのか

「You are not into trouble.(トラブルにはならないよ。)」

と言ってくれて、ひとまずホッと一安心。なので正直に “Yes” と答えた。そしてもちろん、

「But, doctor told me I can go to school if I want to!”(でも、病院の先生が行きたかったら行ってもいいと言ってました!)」

と病院から許可が出ているということを必死に説明を加えた。

「ふ~ん」と腑に落ちないような顔をしてパソコンに何やら入力していた。

 

結局先生が “I’ll call your parents.(親に電話するから)” と言い帰ることになった。

 

お迎えを待つ間、部屋の中を見渡した。オフィスには入ってきた入り口とは別にもう一つ扉のない入口があり、その奥にはベッドやらが置いてあり、俗にいう “保健室” になっていた。

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数分後、父がびっくりした様子で迎えに来てくれたのを覚えている。

父も、「先生行っていいって言ったんじゃ?」と不思議がっていた。しかも、やはり父も、母も学校には電話を入れてないとのこと。帰路につき、車の中で首をかしげる2人だった。

 

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結局Testはexcuse(成績に響かない欠席処理)になるからいいとするが、一番頑張った理科を全部終えられなかったのが何とも心残りだった。

 

家に帰ったその日の午後、ESL (English as Second Language;外国人用の英語のクラス)の先生が電話をくれた。

その先生は陽気な若い仲の良い先生だ。

「大丈夫?」とお見舞いの電話だった。それだけかと思っていたが、話を続けていると、耳を疑うまさかの発言!

「学校に来れないよね。家にテスト持って行こうか?」

え!?

つい、「それっていいんですか?」と聞き返したが、何やら部屋にいたほかの先生がそれはだめだと止めに入ったらしく、何やらごにょごにょ電話の奥で話していた。

そして案の定「ダメだって、お大事に」と言って、電話、そしてテストは終了した。

 

ま、Americaの保健室に入ったし、一足早く休みは来たし、テストはしなくてよくなったし、いっか。

 

でも、なぜ学校は私が豚インフルだということを知っていたのかはいまだ謎に包まれたままなのだ。

あなたの近いは 私の遠い

こんにちは! 毎度おなじみ そらまめスー です。

 

アメリカ人はよく “あそこなら近いよ” と親切に教えてくれる。

しかし その “近い” という言葉に惑わされてはいけない!

彼らにとっての近いとはどういうことだ!?と思ったことが何度かある。

どこへ行くにも車でスイッと行く彼らにとっての 近い は日本人にとってのとても遠いのだった。

 

実例を挙げてみることにしよう。

ある目的地に行きたいが道がわからず、アメリカ人に道を尋ねると

“Oh, you can be there in a minute. First, you should go straight and turn right at the traffic light, and then go straight again and the destination will be on the left. You can reach there in 10 minute.そこならすぐ行けるわよ。まず まっすぐ行って信号で右に曲がり、またまっすぐ行って左手よ。10分で行けるわ。”

と親切にわかりやすく教えてくれる。

しかーし!すぐ着くという言葉を信じ出発するのだが、どれだけ行けどもなかなか目的地が見えてこない。やっとたどり着いたときには、10分ほどで着くと言っていたのに、優に30分近くたっている。

全然 すぐ じゃなーい!

彼らの距離感覚っていったい…

ま 日本なら30分ぐらいかかる場所に アメリカなら15分でつけると考えると確かにすぐそこなのだが。

 

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基本的にまっすぐな道なので すぐに感じるが その直線は果てしない距離だということに彼らは気づいていないようだ。

それと 最初から知っている場所かそうでないかという違いはあるけどね。

かして=私のもの!?

こんにちは! 私、そらまめ スー です!

 

これはAmericaに行ったばかりのころ。

1時間目の数学、隣の席の子が先ほどからカバンの中をゴソゴソしている様子。

しばらくすると諦めてカバンを下ろし、一つため息。

そして、私のほうをチラッと見て、目が合った瞬間!

“Can I borrow your pencil?” の一言。

私は日本の感覚で “Oh, yes.” と親切心で貸してあげた。

しかし、これがあの鉛筆とのお別れであったのだ…。

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鉛筆を貸してあげ、私も隣の子も無事その日の授業を終えた。

ベルが鳴るとみんな一斉に片付け始める。

私は “いつ鉛筆を返してくれるのかな~?”と思っていると…

突然その子は立ち上がり、目の前をスッと横切り、あぜんとしている私を残して教室から立ち去ってしまった。

“え⁉ちょっと待って、私の鉛筆は?”と思ったが、そんなことまだいえる状況ではなかったので、そのまま見送ることしかできなかった。

 

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後で知ったのだが、Americaではよく “Can I borrow?”と言ってそのままもらう人が多いらしい。でも、みんながみんなそうでないことも私はよく知っている。

高校の時も、何度か “Borrow“と言われ、持っていかれてもいいように用意していたペンを貸してあげたが、それらはちゃーんと帰ってきた。

 

皆さんも “Borrow”にはご注意を。

あと、持っていかれてもいいペンを準備しておくことをお勧め致します。f:id:nichijyoseikatu:20180121113618p:plain