トルネードの前に

ウ――――ウウウ

「なになに!?」

「何あのサイレン!」

家のあちこちに散らばっていた全員が1つのサイレンの音の下1か所に集結した。

サイレンの音に交じり、電話が鳴った。

「トルネード警報だから早く地下室に避難して!」

それは父からで、会社から電話してくれていた。それを聞いてみんな急いで地下室に避難した。

ウ―――。サイレンは数分で止まった。

この日は何事もなく終わった。

後で知ったことだが毎月、月に1回トルネード警報のサイレンのテストがあるのだそうだ。それを知らなかったはじめのころは「なになに!?」とバタバタとプチ騒動になっていた。理由を知ってからも、あの大きなサイレンの音を聞くとぎくりとしてしまう。それほど大きな音で、緊迫感のあるものなのだ。訓練だとわかってはいても、「え、トルネードが来るの?」と冗談交じりで地下室に避難したりしたこともあった。

本の学校地震訓練があるように、アメリカの学校では、トルネード訓練というものがある。大体訓練は休み時間に行われる。訓練が始まったら、トルネードの避難場所に指定してある地下室に移動するのだ。あと家に地下室がなければトイレが安全だと教わった。

アメリカ生活数年後のある日、兄弟だけで家にいた時の事。遠くからサイレンのような音が聞こえてきた。外は暗く重たい雲が空を覆っている。なんとなく風も強くなってきたような気もした。その日は月一のテストの日ではないことだけは確かだった。サイレンは次第に大きくなり、トルネード警報だということを町全体に知らせていた。私たちは急いで必要なものを手当たり次第持ち、地下室へと非難した。その時父は日本に帰国しており、スカイプで会話中だったので、もちろんパソコンも一緒に避難した。

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地下室で、みんなで小さいが窓から離れ、壁際に横一列になり、少しひんやりしていたので、持ってきた薄い毛布や座布団やらで暖を取った。そうしている間もサイレンはなり、外はどんどん暗くなる。しかも窓から外を見ていると風も吹いていた。外に出かけている母は大丈夫だろうかと心配しながらただひたすらトルネードが過ぎるのを兄弟で待っていた。

よくニュースなどで見るような大きなトルネードが来るのだろうかと内心心配で窓の外を見ていたが、そんなことはなく、数10分で騒ぎは収まった。

サイレンも鳴りやみ、みんなでホッとしながら上に戻った。後は片付けだけが待っているのかと思いながら。

大きなトルネードじゃないが、ちょっぴりスリリングな日でした。

母は無事帰宅しました。とさ。