豚インフルエンザになった日
去年の暮、弟がインフルエンザA型になった。そして彼は1週間一人、部屋に隔離された。この出来事は、私のある記憶をよみがえらせた。
あれは忘れもしない高校2年生の学期末。。。
ある日、ちょっと風邪っぽかったので、母に連れられいつも診てもらっていた日本人病院へやってきた。相変わらず人は少なく、診察をしている人を除いて待合室には私たちだけだった。順番を待っていると、診察を終えた人が出てきた。それはなんと、両親とともに出てきた日本人学校で同じクラスの男の子だった。
見るからに重症そうだ。母同士があいさつを交わし、何の病気だったのか話をしている。
それを聞いているとあんなにしんどそうなのに、どうやら今はやりのswine fluではなかったようだ。(swine flu=豚インフルエンザ)
彼らが帰った後、母と私は「彼よりは私のほうが症状が軽いからきっとインフルエンザではないね」と話していた。が…
私の順番が来て診察室へ行く。診察を受け、今豚インフルが流行っているが、そうではないかということを聞き、
「んじゃま~、一応検査しますか?多分出ないと思うけど。」
そう言い残して先生は診察室から一度姿を消した。
帰ってきたときには、意外な結果をお供に連れていた。それは、
「出ましたよ、swine flu」だった。
え!?なんて???
母と私はきっと目が点だったに違いない。
インフルエンザってことは学校に行けない!?
今はちょうど学期末テスト Final Exam の真っ最中だった。せっかく準備したので何としても行きたかった私はその旨を先生に聞いてみたら、
「ん~ま、行けそうだったら行ってもいいですよ。」という答えだった。
その時はよかったと思ったが、今思い返せば何と無責任な回答だっただろう。
インフルエンザなのに学校に行ってもいいだなんて!
その衝撃の結果と共に私たちは病院を後にした。
次の日、先生から許可ももらったし、症状も何ともなかったので学校へ行くことにした。
(このことで学校という組織をなめてはいけないということを見せつけられることになろうとは夢にも思わなかったのだ。)
学校で1時間目、自習時間にテストを受けていると、ドアをノックする音ともに見知らぬ先生が入ってきた。先生は私を見るなり荷物を持ってついてくるようにと言い渡した。
私は何が何だか、しかもこの先生は誰なのかもわからず外に出るとその先生は
「私はナースだ」(ナースだけど、アジア系の男の先生だった。)
と言い、またついてくるように付け加え、先を歩いていく。なんだかわからないが、まずい状況なのだけはわかった。連行される人はこういう気分なのかとふつふつと思った。
階段を降り、1階。受付や、カウンセラーのofficeのある所を通り過ぎ、先生は一つの扉の前で止まり、扉を開けた。そこで先生のoffice、「保健室」に通された。
日本の保健室とは随分違い、先生の部屋には机、パソコン、そしてソファが置いてあった。
私はそこに座るように言い渡され、その通りに座った。すると先生が突然
「Are you okay?(何ともないのか?)」と聞き、
「You are swine flu right? (豚インフルなんだよね?)」
と思ってもいなかった質問を投げかけてきた!!!
私の親も誰も学校に連絡を入れてないはずなのに、なぜこの人は知っているんだ!?!
しかしこの状況で “Yes”と答えたらなんかトラブルになるのでは?という心配が頭をよぎり、とっさに “N-No” と答えた(と思う)。
まるで尋問を受けているかのような心境。手に汗握り、冷や汗まででそうだった。
確か焦りのあまり目の焦点が合っていない感覚があった。いわゆる挙動不審。
しかし先生は私の心を察したのか
「You are not into trouble.(トラブルにはならないよ。)」
と言ってくれて、ひとまずホッと一安心。なので正直に “Yes” と答えた。そしてもちろん、
「But, doctor told me I can go to school if I want to!”(でも、病院の先生が行きたかったら行ってもいいと言ってました!)」
と病院から許可が出ているということを必死に説明を加えた。
「ふ~ん」と腑に落ちないような顔をしてパソコンに何やら入力していた。
結局先生が “I’ll call your parents.(親に電話するから)” と言い帰ることになった。
お迎えを待つ間、部屋の中を見渡した。オフィスには入ってきた入り口とは別にもう一つ扉のない入口があり、その奥にはベッドやらが置いてあり、俗にいう “保健室” になっていた。
数分後、父がびっくりした様子で迎えに来てくれたのを覚えている。
父も、「先生行っていいって言ったんじゃ?」と不思議がっていた。しかも、やはり父も、母も学校には電話を入れてないとのこと。帰路につき、車の中で首をかしげる2人だった。
結局Testはexcuse(成績に響かない欠席処理)になるからいいとするが、一番頑張った理科を全部終えられなかったのが何とも心残りだった。
家に帰ったその日の午後、ESL (English as Second Language;外国人用の英語のクラス)の先生が電話をくれた。
その先生は陽気な若い仲の良い先生だ。
「大丈夫?」とお見舞いの電話だった。それだけかと思っていたが、話を続けていると、耳を疑うまさかの発言!
「学校に来れないよね。家にテスト持って行こうか?」
え!?
つい、「それっていいんですか?」と聞き返したが、何やら部屋にいたほかの先生がそれはだめだと止めに入ったらしく、何やらごにょごにょ電話の奥で話していた。
そして案の定「ダメだって、お大事に」と言って、電話、そしてテストは終了した。
ま、Americaの保健室に入ったし、一足早く休みは来たし、テストはしなくてよくなったし、いっか。
でも、なぜ学校は私が豚インフルだということを知っていたのかはいまだ謎に包まれたままなのだ。